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内田 純平(うちだ・じゅんぺい)
  • 1941年東京生まれ。
  • 1966年慶応義塾大学文学部哲学科卒。
  • 1966年日精研の創立者内田勇三郎の逝去に伴い、日精研の代表者に就任。
  • 2009年日精研代表者を辞し、相談役に就任。

日本版PCAとアサーション

―――平木先生と日精研との関係の始まりが、実は内田クレペリン検査関連の翻訳の仕事だったというのは意外でした。まず会社としてアサーションをやろうよという方針があって、じゃあ、そのスペシャリストを探してこようよっていう順序のように想像していましたけど、現実はまったくそうではなかったんですね。

平木:そうですね。だから、(現在のような臨床家としての日精研との関係の始まりは)この本(『最近のカール・ロジャース』)がきっかけなんですよ。この本ができたのも、「最近のカール・ロジャーズを語る」っていうシンポジウム を開催したのも日精研ですから。

内田:それで、このシンポジウムに初めてモービル石油から参加したのが横山哲夫さん(注7)でした。横山哲夫さんが、このシンポジウムをすごく気に入ってくれて、それがきっかけとなって横山さんとの関係が始まり、それが現在までつながっているっていうことなんですよ。

―――なるほど。そこにも、予定調和的っていうよりは、ダイナミックに、偶発的にキーパーソンと出会って、その出会いから何か面白いものが生まれてくるという感じがありますね。

八巻:まず人ありきみたいな。

平木:ある意味ではそうですね(笑)。しかも、そのシンポジウムでアサーションの話をしたとき、多分、私が研究休暇でアメリカに行く前に、PCAが始まってますよね。

内田:ええ、始まってます。

平木:何年に始まってるんだっけ、PCAは。

――――それは(さっき話していたアメリカのPCAとは別の)日本でのPCAなんですか。

平木:そうです。日精研がきっかけになって始まった日本版のPCA。

内田:「カール・ロジャース」のシンポジウムやって、その後で、それに出た人が合宿するんですよ。なんかやろうじゃないかって。

――――じゃあ、それも初めから決まってたわけじゃなくて、せっかくだからやろうよっていう。

内田:そうそう。その合宿をしたときに、僕がある先生に楯突いたみたいなことでなんか非常に気まずくなったりして、だけど気まずくなったことがきっかけで、かえって凝縮力が強まって、「じゃあなんかやりましょう」みたいな形だったように覚えているんですけど。

八巻:1979年ころじゃないですかね。私そのころまだ日精研にいないですからね。

平木:1979年かな。私「アサーションってこんなことなのよ」ってことをいったら、「平木さんアサーションって何なのよ、教えてよ」っていわれて、それでPCAの1回目と、2回目でそういうインタレスト・グループを作った覚えがあるんですよ。

八巻:1回目か2回目に。

平木:1回目か2回目。それがアメリカに行く前だったか後だったかがちょっと今思い出せなくて。それで私はPCAで、ここでトレーニングを始めるはるか前にPCAで何度かちょこちょこアサーションを紹介してるんです。

――――それは(理論的なものだけでなく)少しトレーニングを含むような形ですか。

平木:トレーニングを含むようなもので、何をやったかはっきり覚えてませんけども。ともかく3つのパターン(注8:アグレッシブ、ノンアサーティブ、アサーティブ)の話をして、「褒める」みたいなワークを、こんな風にしてやるらしいよって。私、英語の本を持っていった覚えがあるので(笑)、なんか英語でこんな風に書いてあるんだけど、それやってみるって感じでやった気がするんです。

――――その当時、アサーションっていうのは日本では全然知られていないんですか。

平木:全然。誰も何にも知らないとき。

――――それで、アサーションについて聞いた人たちの反応っていうのは。

平木:「あっ面白いじゃん」っていう感じだったんですよね。

――――いわゆる僕達の育った時代とは「女性の立場」みたいな社会条件ひとつとってみても全然違うでしょうし、当時の雰囲気というのはなかなか想像が及ばないですね。

平木:そう。買ってきた本っていうのは「女性のためのアサーション」というのが2冊ですから(笑)。あのシンポジウム以来、話し出したのだと思いますよ。

八巻:この本(「最近のカール・ロジャース」)のなかにアサーションは出てくるんですか。

平木:私が入ったインタレスト・グループは「アサーション」じゃなかったんだけどって話はしていますね。アサーションそのものの話はしていないのでは・・・。

内田:調べてみたら、日本でのPCAは1977年に第1回目をやっています。週末土曜日に開催するようになったんだ。

平木:PCAウィークエンドね。

内田:それでまず、やり始めとしてはPCAウィークエンドっていうんで、朝から夜までぶっ続けでエンカウンターグループをやるっていうのを始めたわけです。それが1977年って書いてありますね。

八巻:荻窪の駅前でなんだかんだって聞いたことありますけど、それはいつ頃なんですか。

内田:それがそのくらい(1977年頃)。

平木:ウィークエンドはね、まず巌谷さんの事務所。

内田:ううん、違う。

平木:誰の事務所?

内田:全く知らない人ですよ。

平木:なんか誰かの事務所ですよね。

内田:(資料を見ながら)あのね、1977年に入って、月に1度くらいのペースで週末土曜日にPCAウィークエンドを開催するようになった。場所はマンションの一室などを借りて朝9時半くらいに集まり、夜の9時半くらいまで。少ないときは5、6人、多いときには10人ぐらいの人間が集まり、昼食もサンドイッチなどを食べながらぶっ続けで話し合いを行う。メンバーの中には主催者側から1人か2人のファシリテータという役割の人間があり、メンバー同士の話し合いの深まりの中で、参加者が相互に各人の内在的・潜在的な力を引き出し、成長していこうという試みである。っていう、こういうウィークエンドを何回かやって、そのうち合宿でやろうじゃないかってことで、合宿でPCAっていうのがその後始まる。春夏の合宿形式。

平木:(「最近のカール・ロジャース」28ページを見ながら)あっここに書いてある。ここにワークショップの紹介を都留さんがしているなかで、いろんなインタレスト・グループがあったけれども、「われわれにとって耳新しかったのは、アサーティブネス・トレーニングで、昨年の暮、学生相談研究会に出られた方はジョンソンがちょっと触れたので覚えてらっしゃるかもしれませんが、要するに・・・」っていって、アサーション・トレーニングの紹介をそこではしていますね。

――――じゃあきっと日精研の公式のこうした資料の中で最初に出てくるのはおそらくそれかもしれない。太古の記録かもしれないですね(笑)。古文書を調べるみたいな。

平木:どんなことをやったか、なぜこのワークショップがあって、どのような形でやったかっていう一つの例にあげてますね。私が「面白そうだった」と(笑)。